表皮

医学部のグロス・アナトミー(肉眼解剖学)のラボに、真新しい白衣を着て入っていった。いくつか並ぶ解剖台のひとつに立つと、部屋中には空気清浄機の低い唸り音が響いていた。蛍光灯の光に照らされたラボは、無機質で生命感のない空間に見えた。複数の解剖台の上には、それぞれにご献体が安置されていた。これが、私にとって初めての人体解剖の授業だった。緊張していた。

医学生でも、葬儀関係者でも、検視官でも、法医学者でも、何らかの専門職でもなければ、裸の遺体がステンレスの台の上に静かに横たわっているのを目にする機会など、ほとんどない。ご遺体は保存のために防腐処理されており、皮膚はどこか異質な質感を帯びていた。

私の母国では、防腐処理の習慣はない。祖母が亡くなったとき、彼女は自宅の布団の上に、まるで眠っているかのように横たえられていた。家族が交代で一晩中そばに付き添うという古い慣習がある。死を身近に感じるための時間だ。私は線香を絶やさずに何時間も彼女のそばにいた。祖母の肌は黄色っぽく、しわがあり、乾いていたが、損傷はなく穏やかだった。布団の下からは、遺体の腐敗を遅らせるために使われたドライアイスの冷気が染み出してきて、かすかで独特な死のにおいを運んできた。

解剖ラボのご遺体の皮膚は、防腐液が組織に浸透しているせいで、不自然に湿っていた。私たちは死や防腐処理による変化を、元の身体の特徴と見分けられるよう注意深く観察した。皮膚の表面はところどころ剥がれており、日焼けの後の皮のようだったが、それよりも少し深い層だった。これは、表皮と真皮の結合が崩れ始める分解過程のひとつである。ひとりのご遺体は肌の黒い男性で、表皮の下から現れた色の白さに私たちは驚いた。肌の色とは、表皮の深さまでのものなのだと気づいた。表皮の下にある私たちは、誰もが同じ――淡く、白い。

表皮は、私たちの皮膚の最も外側の層であり、その厚さはまぶたで0.05mm、手のひらや足の裏でも1.5mmに過ぎない。けれどそれは、他人が最初に目にする私たちの姿を形作る、いわば社会的な器官でもある。私の肌には、東アジア系の特徴であるオリーブ色の色味がある。子どもの頃は外で過ごす時間が長く、日焼けしていた。室内で過ごす大人たちよりもずっと色が濃かった。父はよく、「そんなに黒くちゃ可愛くなれない」と言っていた。少なくとも当時の私の国では、女性の美しさの基準は「色白」であり、白ければ白いほどよいとされていた。

私の肌はいまも日焼けしているが、昔ほどではない。陽に当たらない部分は、白人の友人たちと変わらないほど白い。ただ、私は彼女たちほど簡単には日焼けで赤くならない。かつて「色黒で可愛くなれないアジアの女の子」と言われたその言葉は、長い間私の自己イメージを支配していた。でもそれは、表皮の深さしかない判断だった。脱皮するヘビの古い皮のように、もう合わなくなったら捨てられるはずのもの。今の私は、ある程度の年齢を重ね、美しく焼けた肌を誇りにしている――白人の友人たちの肌よりも、むしろ紫外線のダメージが少ないかもしれないほどに。

表皮の最下層にはメラノサイトという細胞が存在し、メラニンを生成して肌の色を決めている。もし表皮がなければ、誰もが色白である。肌の色で人を定義することが、いかに馬鹿げているか。メラニンは紫外線から皮膚を守る防御物質であり、肌の色が濃いというのは、それだけ紫外線に対する耐性が高いということにすぎない。

生きている身体では、メラノサイトが存在する表皮の一番深い層は真皮にしっかりと結合しており、簡単には剥がれない。表皮には感覚神経の末端が存在せず、唯一の例外であるメルケル細胞は振動を感知する特殊な受容体で、やはり最下層にしかない。そのため、表皮そのものに触れても痛みなどの感覚は基本的に生じない。

けれど、真皮と表皮の結合が非常に弱く、軽く触れただけで皮膚が剥がれ落ちてしまうという遺伝性の疾患も存在する。この疾患を持つ人は、紫外線、感染症、外部からの刺激などあらゆるものに対して極端に脆弱だ。もし、あなたの身体から表皮が失われたら、どうなるか想像してみてほしい。わずかな接触でも激痛が走り、日常のあらゆる瞬間が苦しみに満ちたものになるだろう。

心理学とスピリチュアル・カウンセリングを学んでいたとき、講師が「境界性パーソナリティ障害の人は、皮膚がないような状態」と表現していた。その比喩は、より正確には「表皮がない」状態と言うべきかもしれない。

表皮は、「自分」と「自分でないもの」との境界を形作り、体内を外界から守る第一の防壁として働いている。にもかかわらず、その厚さはたったの1ミリにも満たない。私たちの肉体的な存在は、驚くほど脆く、壊れやすい。

私はたまにヘナのタトゥーを入れるが、それが1~2週間で消えるのは、色素が表皮にしか浸透していないからだ。表皮の最外層である角質層は、死んだ細胞からなり、絶えず剥がれ落ちている。表皮の細胞は30〜40日ごとに新しいものに入れ替わる。人は生まれたときから、常に少しずつ死に続けているのだ。

私たちは、思っているほど他者と分離された存在ではない。地下鉄の車両に乗ったとき、ある特定の「人間の状態」に特有の匂いに出くわすことがある。体臭を発していた本人はもういないのに、匂いだけが残っていることがある。誰かのパーソナルスペースに偶然入り込んでしまうこともある。空気を通して、わずかな匂いの分子を吸い込むその瞬間、私は誰かの剥がれた表皮の微粒子をも吸い込んでいることに気づく。

手技療法家として、私はクライアントの表皮に触れる。真皮、つまり「本当の皮膚」には決して直接触れない。彼らと私のあいだにある境界、それが表皮だ。「自分でないもの」を外にとどめる見えない門番である。恋人たちの愛撫もまた、死んだ細胞の層を通って交わされる。剥がれ落ちた死んだ細胞は他の微細な物質と混じり、空気中を漂い、床に落ちる。この儚く薄い境界が、私たちを互いから守ってくれているのだ。

生きている人とご遺体との最初の違いは、皮膚にある。解剖室で、私たちはご献体を囲んで立っていた。誰も最初は触れようとしなかった。講師が促してようやく、私たちはおそるおそる手を伸ばし始めた。そのうち、次第に大胆に触れるようになった。ご献体は、学習のためであればどのように触れても文句を言わない。生きている人には境界があるが、遺体にはそれがない。誰かがあなたの身体に不適切な形で触れるとき、彼らはあなたをまるで遺体のように扱っているのだ。

自分が地面に横たわる死体だと想像してみてほしい。皮膚の最も外側の層に意識を向ける。その社会との接点が、パラパラと剥がれ落ちていく。それは乾燥して紙のように軽く、脆い。あなたのアイデンティティの一部が風に舞い、あなたを形作っていた境界線が、ひと吹きの風とともに消えていく。

統合解剖学における脂肪組織

Gil Hedley先生の統合解剖学の解剖実習でHedley先生と一緒に解剖指導をしているチームメンバーのMadhav Gramke先生が,統合解剖学(Integral Anatomy)の視点からの脂肪組織の重要性についての考察をシェアしてくださいました。

Gramke先生は、海綿が脂肪組織の姿に似ているとして、次のように書いています。

脂肪組織への感謝 by Dr. Madhav Gramke

これは私が特に解剖学の授業でよく教えているテーマです。もっと多くの人とこの考えを共有するのも良いかもしれないと思い、ここに書いてみました。脂肪組織についての情報は役に立つし、興味深く、しかも統合解剖学の分野以外ではなかなか見つかりにくいものです。加えて、私たちの西洋文化には脂肪への強い嫌悪感があり、そのために本来素晴らしいはずのこの組織に対して、私たちは悲しいほどに洗脳されてしまっているのです。

機能的な観点から見ると、脂肪組織はあらゆる面で非常に重要な役割を果たしています。いくつか例を挙げてみましょう。

まず第一に、細胞外マトリックスを除くすべての細胞――筋肉細胞、神経細胞、上皮細胞、結合組織細胞など――は脂質を主成分とする膜で包まれています。そう、あなたの体のすべての細胞は、脂質分子がなければ存在できないのです。

もっと大きな視点で見ると、脂肪組織は他の多くの組織の周囲を包んでいます。神経血管束(筋肉や臓器に血液と命を運ぶ木のような構造)は、柔らかくしなやかな脂肪の毛布の中で快適に包まれることを好みます。(健康な個体では)小さな束には小さな脂肪の膜が、大きな束にはまるで川のような脂肪の流れがまとわりついています。体全体の表面は、実は脂肪を含んだ膜(浅筋膜)で包まれており、多くの筋肉はその深部に薄い脂肪のパッドを持ち、それが滑らかな動きを可能にする潤滑面として機能しています。これも脂肪が優雅な動きにどれほど重要かを示す一例です。

また、多くのホルモン機能も脂肪組織を通して媒介されます。脂肪が不足すると、そうした重要な機能が妨げられてしまいます。脂肪組織に存在するホルモン細胞は、(少なくとも)脳、心臓、腎臓と常に交信しており、その信号に大きく依存しています。ちなみに、脳そのものも主に脂肪でできているんですよ。

そして、浅筋膜、つまり皮下脂肪組織は、私たちの体の中で最大の感覚器官でもあります。皮膚の下にあるすべての感覚受容体は、この脂肪の層の中に存在しています。そしてこのふわふわの層こそが、私たちの体の官能的な形――胸やお尻、腰のラインなど――をかたち作っているのです(筋肉ではありません!)。美しい曲線のある体を愛するということは、脂肪を愛するということ。それを否定するのは、無知か、意図的な目くらまし以外のなにものでもありません。

昔の、そして賢明だった時代には、脂肪は価値あるものとして認識されていました。”fat of the land(豊かな大地の恵み)”のような表現が、当たり前のように使われていたのです。

これは脂肪組織を賞賛すべき理由のほんの一部にすぎません。脂肪を拒絶したり、恥じたりすることは、悲しく、誤解に基づき、役に立ちません。どうか、自分の体の心地よい柔らかさを喜んでください。その毛布のような層が薄くても厚くても、どちらでも。

もちろん、無限に脂肪を蓄積すればよいという話ではありません。自然はバランスを好みます。脂肪が少なすぎてもよくないし、多すぎればそれによる問題が起こることもあります。このバランスは、人それぞれまったく異なるのです。大切なのは、自分自身の基準やあり方の範囲の中で、バランスの取れた生活を送ることだと思います。

どんなあなたであっても、どんな体を持っていても、まずはその奇跡のような存在に対して愛と感謝から始めましょう。そしてその姿勢で、自分にとって意味のある人生を生きてください。

Dr.ジョー・マスコリーノのオンライン解剖学カリキュラム

カイロプラクティック医であり、筋骨格および内臓解剖学、生理学、運動学、神経学、病理学を教えているDr. ジョゼフ・マスコリーノが開発した筋骨格の解剖学教育オンラインコースです。

5年前から日本語の字幕を付ける作業を担当しています。筋系解剖学のレッスンの半数以上にすでに日本語字幕がついています。筋系解剖額のコースには上肢、下肢、軸体の3つのセクションがあります。

上肢のコースはさらに、肩甲帯、上腕、前腕、手の4つのモジュールにわかれています。

肩甲帯モジュールには以下の8つのレッスンが含まれています。

肩甲挙筋
小胸筋
菱形筋
前鋸筋
鎖骨下筋
僧帽筋
ボーナスレッスン
テスト準備

それぞれの筋のレッスンには、1)イラスト上での説明、2)ご献体解剖画像による説明、3)モデルによる筋肉の作用に関する説明、4)筋の名前の由来、5)詳細な触察の方法、6)1分間でわかる触察法、7)詳細なストレッチの方法、8)1分でわかるストレッチ、9)10)セルフストレッチ、11)トリガーポイントとリファラルパターンのユニットが含まれています。

モスコリーノ博士のビデオレッスンは極めて詳細であり、174の筋肉レッスンを通じて重要な点がくりかえされます。

シャバーサナ

私は解剖学の教科書や解剖マニュアルを書いているわけではありません。ただ、日常の言葉よりも解剖学的な用語の方がわかりやすい場合には、それを使っています。このブログは科学的な知識について書いたものではありません。詳細な解剖学的情報をお探しであれば、素晴らしい専門書がたくさんあります。これは、あくまで私が解剖実習でご献体と向き合い、その経験を通じて自分が何者であるか、そしてこの一生の中で特に自分の身体とどう関わるのかということについてかたちづくられてきた私自身の物語です。

ずいぶん前に、仰向けに横たわり、自分の体が徐々に腐敗して骨になるまでを想像する瞑想法について読んだことがあります。また、仏教には「墓場の瞑想」と呼ばれる修行があり、実際のご遺体が腐敗していく様子を見ながら、自分の体を内側と外側の両方から観察するというものがあることを知りました。それは、私たちの身体を含む物質的な存在が、腐敗する遺体と何ら変わらない、ただの儚い現象に過ぎないことを認識する訓練であると解釈し、非常に興味を惹かれました。

日本には「九相図」と呼ばれる、遺体が腐敗していく九段階を描いた伝統的な絵画があります。これは、日本版の「メメント・モリ(死を想え)」と言えるでしょう。美しい女性の体が徐々に腐敗し、動物に食い荒らされ、自然に還り、最後には白く乾いた骨となって地面に散らばる様子が描かれています。それは、自分の身体もまた無常であり、一時的なものであることを思い出させてくれます。

人は耐え難いトラウマを経験すると、意識を自分の身体から切り離し、自分を守ろうとすることがあります。身体は「私」という意識から分離され、特定の機能を果たすだけの道具のようになります。

禅心理学のセラピストとセッションをしていたとき、彼はよく「あなたの身体は何を感じていますか?」と尋ねました。そのたびに、私は天井を見上げたり、部屋を見回したりして、答えを自分の外側に探していました。「床に足が触れているのを感じますか?」と彼が聞いたとき、私は足が地面に触れている感覚を物理的に感じてはいましたが、それは自分の心の中で感じていることとは完全に切り離されたものでした。自分の身体をほとんど理解していませんでした。

屍の瞑想をするときでさえ、それをはっきりとイメージするのに苦労しました。自分の身体との意識的なつながりがないまま、屍はすぐにただの骨の抽象的なイメージに成り果ててしまいました。人間の身体がどれほど複雑で繊細なものなのか、そしてそれが自分の存在とどう関係しているのかを理解できませんでした。

解剖学実習を通じて、私は少しずつ自分と自分の身体とのつながりを回復していきました。解剖台に立つたびに、自分の人間性を取り戻しているような感覚がありました。人間解剖の世界に足を踏み入れてから10年以上が経ち、解剖室で過ごした時間は1,500時間を超えます。今では、年に一度の解剖ワークショップに参加することが、禅修行者が寺に戻るような感覚になっています。それは一種の精神的な修行であり、死と向き合う準備をすると同時に、現在という瞬間を生きることの重要性を思い出させてくれるのです。

ヨガでは、シャヴァーサナという仰向けに寝るポーズがあります。これは遺体を模したポーズです。解剖実習室で解剖台に向かうとき、私たちは静かにシャヴァーサナの姿勢で横たわるご献体と向き合います。それは、私たちだれもがいずれ取ることになる最後の姿勢なのです。

©2024

Gil Hedley先生の神経解剖プレゼンテーション受講報告

2024年9月7日にマンハッタンで実施されたGil Hedley先生の神経解剖プレゼンテーションに参加しました。2023年に5ヶ月間にわたって実施されたご献体「Captain」の神経系統解剖プロジェクトをメインにした5時間にわたるプレゼンテーションでした。

クレニオセイクラルセラピー(頭蓋仙骨療法)の教育機関であるアプレジャー・インスティチュート、神経マニピュレーションのバラル・インスティチュート、ロルフィングのアイダ・ロルフ・インスティチュート、筋膜クレンジングテクニックのメルトメソッドの創始者スー・ヒッツマン先生を初めとするファシア関連の教育機関の支援を受けたGil Hedley先生の講義には、ほぼ口コミで数百人の聴講生が集まっていました。私が実習に参加したときのチームメートやアシスタントをしている時に知り合った解剖実習ワークショップの常連の参加者は、それぞれにファシア研究関連のワークショップを主催し、広い人脈を持っています。

Hedley先生がコロナ時に研究室に閉じこもり17ヶ月にわたって実施した「AからZまでの解剖学」プロジェクトと2023年の神経解剖プロジェクトでいっしょにアシスタントを務めたFauna Moore先生はファシア研究学会によりドイツのグーベンで行われたファシア・ネット・プラスティネーション・プロジェクトの立ち上げ時のメンバーの一人でもあり、ノースカロライナ州で解剖研究所で教育プログラムを担当されており、ファシア研究で著名なイタリアのカーラ・スタッコ博士のワークショップにも度々参加されています。Hedley先生の実習時に何度もお会いしたLauri Nemetz先生もファシア・ネット・プラスティネーション・プロジェクトに関与され、The Myofascial System in Form and Movement を出版されており、2014年から2021年までトム・マイヤーズのアナトミー・トレインズ解剖ラボでアシスタントを務められていました。彼女は日本からの学生グループを何度も教えた経験があるので、ご存じの方もいらっしゃると思います。現在はヨガ・アナトミーのLeslie Kaminoff先生と呼吸に重点を置いたヨガインストラクター向けの解剖実習ワークショップを主宰しておられます。他にもGil Hedley先生のIntegral Anatomy(統合解剖学)ファミリーのメンバーの見覚えのある顔が何人も見られました。

レクチャーの前半はご献体AnnaとZ、そしてJerryとGeorgeの解剖映像を使って、脳の構造の説明が行われました。先生はご献体を固有名詞(本名ではありません)やニックネームで呼ぶことにより、私たちが見ているものが、抽象的な人体構造ではなく、教育のためにご献体して下さった個人であることを強調され、その時に得られた学びに対して感謝の念を表明されます。個人的な気持ちですが、私がHedley先生の解剖実習だけに惹かれる理由はここにあると思います。

頭蓋骨の内側にある脳髄膜(硬膜、くも膜、軟膜)と脳脊髄液の関係と構造を示し、12の脳神経をひとつひとつポイントアウトして位置関係を説明されました。ご献体2体の脳を比較することにより、視覚的に、位置関係の理解がより深まりました。

ご献体Georgeの脳の画像を使い、脳の構造の説明がありました。構造の説明だけではなく、機能の説明や、右脳/左脳の認知パターンの違いついてのお話しや、下垂体や松果体の位置を自分の脳で見つけるエクセサイズなど、Hedley先生ならではの内容となりました。

実は私は解剖実習に参加したときに担当のご献体がGeorgeだったのですが、脳の解剖については全く記憶から消えていました。当時は、まだ脳や神経に関心がなく、筋肉にのみ集中していたのだと思います。自分に受け入れる準備が整っていないと、目の前にある知識を吸収することさえできない、ということを思い知りました。脳や神経に意識が行くまでに、10年かかったことになります。

10分間の休憩(実際はもっと長かったですが)をはさんだレクチャー後半では、5ヶ月間をかけたご献体「Captain」の神経解剖プロジェクトの全容が明らかになります。私は1週間だけのアシスタントでしたが、その一週間にHedley先生とアシスタントをしていたFauna Moore先生の解剖をひたすら観察し続け、–筋肉や骨格に焦点を当てたいつもの解剖とは全く異なる特殊でデリケートな解剖なので、すぐには始めさせてもらえませんでした–数日間ひたすらに縫工筋に至る細い神経の末端を少しずつ剖出する気の遠くなるようなプロセスを経験しただけだったのですが、一度そこにあることが分かれば、二度と無視できない、という先生の言葉通り、次に解剖実習に参加したときに、大腰筋の中を通る神経を、それが何という名前の神経かもしらないままに、きれいに剖出できました。なぜ今まで見えなかったのだろうと思います。

Hedley先生はまず皮神経を剖出して見せ、これが真皮、皮下組織、脂肪組織を通してどのように走行しているか、神経とリンパ管、静脈、動脈の関係、さらにファシアと神経の関係性、特に知覚神経の分布と病状の関係性についてのお話しがありました。

自律神経の剖出プロジェクトのプレゼンテーションはメインイベントです。特に迷走神経と腸神経はトラウマセラピストやホリスティックなセラピスト業界で今時ホットなトピックです。解剖学界隈では時代の寵児といえるような構造が時にふれ浮上します。10年以上前には解剖実習で大腰筋を見たがる参加者が多かったのですが、最近は迷走神経を見たいという声がしばしば聞かれました。

プロジェクト助手をした際には、Hedley先生は迷走神経(Vagus Nerve)を脳幹から心臓までたどる過程を迷走神経を剖出しながら撮影されていました。その時にはあまりに複雑で私の理解を超えていたのですが、あらためて順序だった説明を聞いて、理解が深まりました。Captainの迷走神経は何度も別の神経と吻合し、時に逆走しながら、神経叢を形成し、心臓に達していました。さらに、肝神経叢、上腸間膜神経叢を初めとする自律神経叢や神経節を深骨盤までたどり、交感神経と副交感神経の役割についての考察がありました。

レクチャーの最後は筋骨格神経叢ーー頸神経叢、腕神経叢、腰神経叢、仙骨神経叢–の剖出、同定、そして筋との位置関係についての詳細が明らかにされました。

ヘドレー先生はこれらの解剖学的な知見を、人体のパーツとしてではなく、人とは何か、人はこの世界とどのようにかかわっていけるか、という哲学的な視点を加えて提示していると感じました。

Hedley先生のレクチャーを視聴すると、ボディーワーカーにとって「人体」とのかかわり方が大きく変わることは確実です。機会があれば、ぜひ参加下さい。

Hedley先生を日本にお呼びして、このプレゼンテーションやファシアのプレゼンテーションをしていただくのが私の夢です。そのために日本語で発信する努力を今後も続けたいとおもいます。拡散、よろしくお願いいたします。

https://www.gilhedley.com/thenervetour

統合解剖学ワークショップ(2024)に参加しました。(その4)

コロラド州のInstitute for Anatomical Researchで2024年5月6日から実施されているGil Hedley先生の統合解剖学6日間の解剖実習ワークショップの4日目は、筋の展開(reflect)と、腹膜を切開し、腹腔内の内臓の観察、肋骨前面を切除して胸郭内の内臓の観察を行いました。

腹膜を切開する前に、腹筋の構造についての詳細な説明がありました。腹横筋、内腹斜筋、外腹斜筋、腹直筋のファシアの層の構造と腹膜の関係は複雑です。

参加者のなかにVisceral Manipulationを行うセラピストが複数いましたが、開腹して腹腔内の内臓を見ると、必ずといっていいほどショックを受けます。内臓の位置は個人個人で大きく異なり、解剖図の通りのご献体はほとんど存在しません。

Running the bowel という手法で、手で直腸からS字結腸、下行結腸、横行結腸、上行結腸とたどっていきます。ご献体「キング」のS字結腸は極端に長いことがわかりました。さらに、小腸をたどると、胃に近づいたところでY字に小腸が分かれていました。胃と十二指腸の間に何らかの問題があったため、膵臓から膵液を得る乳頭部を温存し、別の部分を胃につないだのではないかと思われます。

解剖の詳細はHedley先生の統合解剖学Youtubeビデオをごらん下さい。このビデオは20年前のものですが、基本は同じです。

Integral Anatomy, V2 pt2: Deep Fascia and Muscle: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

Integral Anatomy V3 pt2: Cranial and Visceral Fasciae: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

日本語字幕つきです。

最新の解剖ビデオ(Anatomy from A to Z)はhttps://www.gilhedley.comから月額15ドルで会員登録することにより閲覧することができます。(こちらは英語のみです。)

(つづく)

統合解剖学ワークショップ(2024)に参加しました。(その3)

コロラド州のInstitute for Anatomical Researchで2024年5月6日から実施されているGil Hedley先生の統合解剖学6日間の解剖実習ワークショップの3日目は、Deep Fasciaを取り除き、骨格への付着部を切除することなく、それぞれの筋を分ける(differentiate)作業を行います。

朝のミーティングで昨日のSuperficial Fascia層の解剖での個人の発見についてディスカッションが行われました。皮下脂肪層を切除していると、脂肪の中に筋繊維のようなものが見られることがあります。統合解剖学は肉眼解剖学であって、顕微鏡を使わないので、詳細は専門外ですが、皮下脂肪層の中に収縮性を持つ繊維が存在することが指摘されました。

頸部の解剖を参加者にデモンストレーション中の筆者

私は2日目から広頸筋を皮下脂肪層の中から剖出し、顔面から頸部にかけてsuperficial fasciaを取り除く解剖をしていましたが、耳下腺とその管、そして顎下腺をきれいに剖出するこができ、広頸筋を温存したまま、下の構造から剥がし、肩甲舌骨筋など、頸部の筋をデモンストレーションすることができました。Hedley先生は生徒に自分の行った解剖を説明させることにより、より深い学びの機会を与えてくれます。

解剖の詳細はHedley先生の統合解剖学Youtubeビデオをごらん下さい。このビデオは20年前のものですが、基本は同じです。

Integral Anatomy V2 pt1: Deep Fascia and Muscle: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

日本語字幕つきです。

最新の解剖ビデオ(Anatomy from A to Z)はhttps://www.gilhedley.comから月額15ドルで会員登録することにより閲覧することができます。(こちらは英語のみです。)

(つづく)

統合解剖学ワークショップ(2024)に参加しました。(その2)

コロラド州のInstitute for Anatomical Researchで2024年5月6日から実施されているGil Hedley先生の統合解剖学6日間の解剖実習ワークショップの2日目は、Hedley先生がSuperficial Fasciaと呼んでいる層の観察と解剖と行いました。

最初に、先生からヨーロッパの解剖学の伝統による名称と英国の解剖学(グレイ解剖学)の伝統に基づく名称の違いの説明がありました。統合解剖学では皮下脂肪層をSuperficial Fasciaと呼ぶのに対して、カーラ・スタッコ先生を代表とするヨーロッパの解剖学では、Superficial Fasciaは皮下脂肪層の中にある膜状の組織を指し、それ以外は「脂肪」として認識するとのことでした。混乱を防ぐために、Hedley先生は欧州の伝統によるSuperficial Fasciaを指すときは、「カーラ・スタッコのファシア」と呼んでいます。学派による呼び方の違いをあらかじめ理解しておくことにより、混乱が防げます。

今回の実習のご献体は2体ともFixed(薬剤による防腐処理を施した)Cadaverですが、興味深いことに「キング」と参加者が名付けたご献体は、soft fixと言われる薬剤による固定が緩いもので、unfixed cadaverに近い質感が残っていました。薬剤の量、薬剤が浸透するまでの時間等により差が出るとのことでした。

統合解剖学ではSuperficial Fascia/皮下脂肪層を人体における重要かつ最大の器官であるととらえています。緩衝、保温といった物理的な役割に加え、レプチンを分泌する内分泌器官、無数のリンパ管が張り巡らされたリンパ器官、多数の神経終末を含む感覚器官、と様々な役割を果たしています。

脂肪は小さな粒状(lobule)になっていますが、粒の大きさや形状は部位によって大きく異なります。1つの脂肪の粒の中にはさらに小さな脂肪の粒が詰まっており、強靱なマトリックスとなっています。からだの部位によって異なる皮下脂肪層の厚みや質感を感じることは、手技施術者にとって重要な経験となるでしょう。

解剖の詳細はHedley先生の統合解剖学Youtubeビデオをごらん下さい。このビデオは20年前のものですが、基本は同じです。

Integral Anatomy, V1 pt2: Skin & Superficial Fascia: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

日本語字幕つきです。

最新の解剖ビデオ(Anatomy from A to Z)はhttps://www.gilhedley.comから月額15ドルで会員登録することにより閲覧することができます。(こちらは英語のみです。)

(つづく)

統合解剖学ワークショップ(2024)に参加しました。(その1)

コロラド州のInstitute for Anatomical Researchで2024年5月6日から実施されているGil Hedley先生の統合解剖学6日間の解剖実習ワークショップに参加しています。

5月のコロラド・スプリングスはまだ緑が少なく、雪が降ることすらあります。昼間は暖かいですが、朝晩は冷え込みます。

今回のワークショップは薬剤による防腐処理を施した(Fixed)2体のご献体を1体につき7人で6日間解剖するものです。昨年2023年には薬剤を使用せずに低温保存したご献体の解剖実習に参加したので、今年はFixedのクラスを選びました。Fixed Cadaverの解剖は組織が薬品により固定されているために、構造をより明確に観察することができます。どちらがよいということではなく、何を観察したいか、どのような体験をしたいかで選んでいます。

1日目の午前中はオリエンテーションで統合解剖学で解剖実習を行うための心構えについて、Hedley先生からお話しがありました。先生の解剖実習の基本は、「ご献体は私たちに学んで欲しいと願うドナーとその家族からの贈り物である」という感謝の気持ちを持つことです。先生はご献体を「ティーチャー」と呼んでいます。

今回の参加者は14名で、Institute for Anatomical Researchの所長のジムとカイロプラクターで地元のマッサージスクールで解剖をも教えているマダブが補助についてくれました。解剖実習の参加者はなぜか女性が多く、今回も14名中13名が女性でした。今回はロンドンからの参加者もいました。Hedley先生のワークショップのリピーターは私を含めて3名、他の先生の解剖実習に参加経験のある人も多かったです。指導者により異なる視点を得るというのも、重要な学びの経験となります。

今回のご献体は2体とも大柄な男性です。1体は鎖骨の下から腹部まで手術痕があり、開胸手術を受けたと思われます。もう1体も腹部に手術痕がありました。膝には恐らく人工関節置換手術の痕と思われるものがありました。ご献体はご高齢の方が多いので、ほとんどの場合、何らかの手術痕が見られます。

1日目はSkin layer(表皮と真皮)の解剖を行いました。

解剖の詳細はHedley先生の統合解剖学Youtubeビデオをごらん下さい。このビデオは20年前のものですが、基本は同じです。

Integral Anatomy, V1 pt1: Skin & Superficial Fascia: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

日本語字幕つきです。

最新の解剖ビデオ(Anatomy from A to Z)はhttps://www.gilhedley.comから月額15ドルで会員登録することにより閲覧することができます。(こちらは英語のみです。)

(つづく)

呼吸と肺の精緻な動き:ギル・ヘドレー博士と統合解剖学を学ぶ

統合解剖学の解剖実習の際に、しばしばご献体の肺が呼吸している状態でどのように動くかのデモンストレーションが行われます。肋骨前面を取り除いた状態で行うこともあれば、肋骨はそのままで、肋骨間の筋を除去し、「窓」を開けた状態で行うこともあります。

原理的には器官に管を通して、肺に空気を送ります。初めてこれを実際に見た人は、言葉を失うほどの感動を覚えると思います。私は実習に立ち合うたびに、このデモンストレーションを見ましたが、肺の状態による動きの違いに驚かされます。下記のリンクのビデオでは、かなり健康で美しい肺の動きを見ることができます。字幕はついていません。音声を消して動きにのみ集中してみてください。(当然ながらご献体の映像です。閲覧注意)ご覧になった後に、ためになったら、日本語で大丈夫ですので、コメント入れてあげてください。ヘドレー先生が喜びます。

Exquisite Lungs Breathing: Learn Integral Anatomy with Gil Hedley

真っ黒になった喫煙者の肺ときれいな肺を並べた映像を見たことがある方は多いと思います。非喫煙者でも大気汚染のある場所で人生を過ごした高齢者の肺には微細な黒いパターンが見られます。吸い込んだ微粒子が沈着したものです。胸膜が肋骨に癒着している肺は、肋骨前面を外す際に、胸膜がはがれるバリバリという音がします。本来は呼吸に合わせて滑るように動かなければならない肺の動きが阻害されています。慢性閉塞性肺疾患(COPD)の肺は一目でわかるような病変があり、この状態で呼吸することがいかに困難かを想像することができます。

専門の医師以外は直接見ることのない様々な状態を実際に観察することができるのも、解剖実習による学びの重要性です。